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東京地方裁判所 昭和63年(ホ)5487号 決定 1989年2月03日

被審人

日本赤十字社

右代表者社長

山本正淑

右代理人弁護士

森恕

鶴田正信

主文

被審人を処罰しない。

理由

一  本件記録によれば、次の事実が認められる。

1  大阪地方労働委員会は、申立人大阪赤十字病院労働組合(以下「組合」という)と被申立人大阪赤十字病院(以下「病院」という)との間の大阪府地方労働委員会昭和六〇年(不)第二六号事件について、昭和六一年一月一〇日付けで病院に対し、次のとおりの救済命令(以下「本件救済命令」という)を発した。

「被申立人は、申立人が昭和六〇年三月九日付け及び同四月六日付け文書で行った団体交渉申入れについて要求の趣旨、理由、根拠及び要求の正当性について説明がないことを理由に団体交渉を拒否してはならない」

2  これに対し、被審人は、病院は法人たる被審人の経営する医療施設の一つにすぎず独立した権利義務の帰属主体でなく、本件救済命令は病院を名宛人としているが、実質的には被審人を名宛人とし、これに対し命令の内容を実現することを義務付ける趣旨のものと解されるとして、大阪地方裁判所に対し本件救済命令の取消しを求める訴えを提起した(大阪地方裁判所昭和六一年(行ウ)第五号不当労働行為救済命令取消請求事件)。

3  大阪府地方労働委員会は大阪地方裁判所に対し、本件救済命令につき緊急命令の申立てをなし(大阪地方裁判所昭和六一年(行ク)第二〇号緊急命令申立事件)、大阪地方裁判所は、本件救済命令の名宛人につき前記2記載の趣旨と解し、昭和六二年九月二八日に、被審人に対し、右不当労働行為救済命令取消請求事件の判決の確定に至るまで、本件救済命令の主文に従うべきことを命ずる旨の緊急命令(以下「本件緊急命令」という)を発した。

4  大阪府地方労働委員会は、当庁に対し、昭和六三年五月三〇日に、被審人は本件緊急命令が発せられたにもかかわらず、これを履行していないとして、緊急命令不履行通知をした。

二  そこで、被審人に緊急命令不履行の事実、すなわち団体交渉拒否の事実が存したか否かについて検討する。

1  本件記録によれば次の事実が認められる。

(一)  本件緊急命令に基づく第一回団体交渉(昭和六二年一〇月一六日)について

第一回団体交渉は同日午後四時三二分に開始され、冒頭、被審人側は、本件団体交渉は本件緊急命令に従って行われるものであって、右命令どおりに履行されたか否かを客観的かつ正確に記録する義務と必要があるので、ビデオカメラ、カメラ、録音機及び録音機用マイク(以下後二者を併せ「録音機」という)を設置すると共に速記者を配置し、これらにより団体交渉の状況を記録する旨の説明をなしたが、組合側は特に異議を述べなかったばかりか、これに同意する趣旨の発言をした。その後、交渉委員名簿の交換がなされ、団体交渉に入ることになったが、組合側には定められた九名の交渉委員の他に多数の組合員や支援者(以下「組合員ら」という)が加わっているため、被審人側病院の管理局長中矢喜男は、団体交渉は平穏に行われるべきものであり、かつ労働協約一二条にも非公開と定められていると述べて、交渉委員以外は退去するよう求めた。

これに対し、組合は、病院当局との団体交渉は昭和五九年までの七年間公開で行われてきており、そのために団体交渉が不可能になった事実はなかったのであるから、本件団体交渉も公開で行うべきであるとし、本件緊急命令に基づき、昭和六〇年三月九日の八五春闘要求及び同年三月二九日の職場要求について回答を求めた。

そこで、被審人側は、やむなく右組合員ら退去の件は暫くおき、交渉に応ずることとして組合に対し、右交渉事項については解決されたものもあるから事前に交渉事項を整理して文書で提出するように求めたところ、組合は、休憩時間中に検討したうえ、再開後、右交渉事項中、先ず労働条件の改善について団体交渉を行いたい旨申し入れた。しかし、被審人側は、従前の態度を維持し、結局交渉は双方の主張が平行線を辿ったまま、約束の時間が経過したとの理由で、午後六時五三分閉会となった。

(二)  第二回団体交渉(昭和六二年一〇月二八日)について

被審人側が、団体交渉会場に前回同様にビデオカメラ、カメラ、録音機を設置すると共に速記者を配置して待機する中、同日午後四時三四分に組合側交渉委員及び被審人側の制止を無視して多数の組合員らが入場したが、組合側は、入場するや直ちに、組合の委任状を提出して参加した大阪医労連書記長河野寿生が中心となって、労使が録音機を一台ずつ合意のうえで設置し、団体交渉の状況を記録するのであれば、労使対等の団体交渉といえるが、被審人側が一方的にビデオカメラ等を設置しこれを使用するようなことは正常な団体交渉とはいえないと主張して、ビデオカメラ、カメラ及び録音機の撤去を求めた。

これに対し、被審人側は、右組合員らの退去を求めると共に、右河野につき委任事項の説明を求めたところ、組合側が、委任状を提出してあるのだからその必要がないと拒否したので、右河野を団体交渉の交渉委員と認めず、またビデオカメラ等の撤去に応じなかった。

結局、被審人側交渉委員着席のまま午後四時四四分に、組合側交渉委員は一斉に退場した。

(三)  第三回団体交渉(昭和六二年一一月六日)について

第三回団体交渉は、被審人側が、ビデオカメラ、カメラ、録音機を設置すると共に速記者を配置して待機する中、組合側交渉委員が多数の組合員らを伴って入場するという前回同様の状態で、同日午後四時三一分に開始された。

そして、組合側は、労使の合意を得ないビデオカメラ、カメラ等の設置は人権侵害であり、威嚇である等口々に発言し、その撤去と速記者の出席資格の説明を求めた。

これに対し、被審人側は、組合側が交渉委員として指名した河野寿生を前回と同様の理由で、梶間亘をその資格に疑義ありとの理由でそれぞれ交渉委員として認めず、双方の主張が対立し容易に実質的な団体交渉には入れなかった。そこで、被審人側は、記録保全の権利は留保することを明示したうえ、やむなくビデオカメラ及びカメラを撤去することとした。ところが、組合側は、双方で確認した議事録が最も正確な記録保全措置である旨主張して、さらに録音機の撤去と速記者の退去を求め、労使双方が録音機一台ずつを設置することを提案した。しかし、被審人側は、従来の交渉の経緯からして、正確に記録を保存する必要があるが、日本の社会においては速記が最も権威があり、しかも第一回団体交渉において、ビデオカメラ等の設置につき異議がなかったものであるとして、録音機の撤去と速記者の退去には応じなかった。右のように、双方とも実質的な団体交渉に入ることを求めながら、その内容に入れなかったところ、組合の執行委員長吉田一江が、本日の重点要求事項として、<1>一六号病棟婦の欠員を補充すること、<2>看護婦の欠員を補充すること、<3>妊娠者の夜勤を禁止すること、<4>看護婦を増員すること、<5>病棟婦の臨時職員を本採用すること、<6>当面、四週五休制を実施することの六項目を提案し、かつ、録音機の撤去と速記者の退去を求めたが、被審人側は、右六項目の要求は昭和六〇年春闘要求書にない交渉事項であり、本日の議題ではないとし、本件緊急命令に基づく団体交渉の交渉事項以外の項目は別途交渉する旨申し入れ、さらに交渉事項の整理を求めたため、結局実質的な団体交渉にはいることなく、組合側は右六項の回答を待つとして、午後五時三六分に全員退場した。

(四)  第四回団体交渉(昭和六二年一一月一九日)について

第四回団体交渉も、前回同様の状態で同日午後四時三〇分に開始され、被審人側のビデオカメラ等による撮影をめぐって再び紛糾し、組合側が、ビデオカメラ及びカメラの設置に抗議を申し入れた。

そこで、被審人側は、組合が組合員らを加えず交渉委員のみにより団体交渉に応ずるならば、ビデオカメラ及びカメラの撤去に応ずる旨申し述べたが、組合がこれを拒否したため、何ら実質的な団体交渉はなされることなく、組合側は午後四時三三分に一斉に退場した。

(五)  第五回団体交渉(昭和六二年一一月二六日)について

第五回団体交渉も、前回同様の状態で同日午後四時三〇分に開始され、病院側のビデオカメラ等による撮影及び録音をめぐって再び紛糾し、組合側は、ビデオカメラ、カメラ、録音機等の設置に抗議を申し入れて、何ら実質的な団体交渉はなされることなく、午後四時三三分に一斉に退場した。

その後、被審人側は、前回同様交渉委員のみの交渉に応ずるならば、ビデオカメラ及びカメラを撤去する旨申し入れたが、組合側は、書記長吉川茂と副執行委員長松岡和男が午後六時一〇分に入場し、右申入れを拒否したうえ、無条件で団体交渉に応ずるよう要求して退場した。

(六)  第六回団体交渉(昭和六三年三月四日)について

被審人側は、団体交渉申入れ時において、団体交渉における論議を優先させるために、<1>労使双方の主張の相違を団体交渉の議事に入ることの阻害要因にしないこと、<2>八五春闘要求書(昭和六〇年三月九日付け)、職場要求書(昭和六〇年三月二九日付け)を交渉議題とする団体交渉の議事進行を積極的に推進することの二点を提案し、実質的な団体交渉に入るために、冒頭からビデオカメラとカメラを設置せず、録音機と速記者だけを配置して待機する中、組合側交渉委員及び被審人側の制止を無視して多数の組合員らが入場したが、組合側は口々に録音機の撤去を要求し、結局、午後四時三五分に一斉に退場した。

その後、午後四時五〇分及び午後五時五九分に前記吉川らが来場して、録音機の撤去を要求したが、被審人側は受け入れなかった。

また、昭和六三年三月一一日に交渉議題についての事務折衝が開かれたが、進展はみられなかった。

(七)  被審人は、右に述べた各団体交渉の間に、大阪府地方労働委員会に対し、昭和六二年一一月四日、同年一二月一九日及び昭和六三年二月八日の三回に亘り団体交渉の立合い方を申入れたが、同委員会からは何等の回答もなく、団体交渉においても、実質的な交渉ができなかったので、さらに、同委員会に対し六三年三月一九日、同年四月一八日、同年五月二日及び同月二五日の四回に亘り斡旋を申請したが、いずれも斡旋不調による取下げや斡旋不開始で終った。

2  しかして、右認定事実によると、被審人と組合との間においては、本件緊急命令に従うため昭和六二年一〇月一六日から昭和六三年三月四日までの間六回に亘り団体交渉が開かれたが、前記認定にかかる事情により殆ど実質的な交渉に入らないまま決裂しており、しかも、当初被審人は、団体交渉の場においても団体交渉事項の整理が可能であるにもかかわらず、組合に対し団体交渉にはいる前提として交渉事項を整理するよう求め、また、団体交渉の記録を保全するためとはいえビデオカメラやカメラまで用意して交渉の状況を撮影しようとし、さらに組合が交渉委員として委任した河野寿生について委任事項の説明を求め、同人を交渉委員と認めないなど組合側の感情を刺激し、組合側をして団体交渉への出席を拒絶させるような状況を殊更に作出する意図があるかのごとく受け取られかねない態度をとっており、かかる事実に鑑みれば、少なくとも本件団体交渉開始当時の被審人側の態度には本件緊急命令履行の意思が存したか否かにつき些か疑念を抱かせる点がなかったわけではない。

しかしながら他方、組合も特段の事由のない限り非公開とされるべき団体交渉の場に、被審人側の制止を無視して、全期日に亘り組合員及び支援者を帯同し、被審人側に対し同人らの傍聴を認めるよう執拗に要求するなどこれまた団体交渉の開催を困難ならしめるような状況を作出し、また第一回交渉期日においてビデオカメラ等の設置につきこれを認めるかのごとき口吻をもらしておきながら、第二回交渉期日に至って十分な説明もしないまま突如その態度を翻してビデオカメラ等の撤去を求め、さらに被審人側が第三回交渉期日において交渉の実をあげるためビデオカメラ及びカメラを撤去し、第四、第五回交渉期日において交渉委員以外の組合員及び支援者の退去を前提とはするもののビデオカメラ及びカメラの撤去を申し出、第六回交渉期日においては当初より無条件でビデオカメラ及びカメラの設置を控えるなど実質的な団体交渉にはいるべく組合に対し相当程度の譲歩をしたにもかかわらず、組合は、被審人が求める組合員らの退去には応ずることなく、録音機の撤去及び速記者の退去まで求めるなど徒に自己の要求のみを固執し、これが容れられないとみるや、殆ど説得を試みることなく団体交渉の場から退出していることが明らかであり、これに、被審人において本件緊急命令履行の事実を証するため録音機及び速記者により団体交渉の状況を記録する程度のことは前記認定事実によって認められる組合と被審人との対立の深さを勘案するとき当然許されて然るべきものであることを併せ考えると、第一、第二回交渉期日における被審人の態度には些か問題があるものの、少なくとも第三回交渉期日以後団体交渉が実質事項に入らなかった主たる原因は相手方のみに譲歩を求める組合側の頑な交渉態度にあるものというべきである。

三  したがって、被審人にも非難されるべき点があるとはいえ、前記認定事情を彼此較量すると被審人に対し直ちに過料をもって臨むことは相当ではない。よって、被審人を処罰しないこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 福井厚士 裁判官 川添利賢 裁判官 酒井正史)

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